
昨日、このブログで「SNSからの撤退」を宣言した。時間と精神を無駄に消耗する「ストレスの帯電」を断ち切るためだ。しかし今日、私はまたしてもその誘惑に負けてしまった。前に書いたコメントへの反論が通知として届き、頭をよぎったのは「無視しよう」「わからないふりをしよう」という自制の声だった。
それでも、指先は勝手に画面をスクロールさせ、反論への反論を打ち込んでいた。
「たった一言だけ」と思ったその瞬間から、時間は溶けていった。相手は返信し、私はまた応酬する。議論の内容は最初のテーマから逸れ、いつの間にか「正しさ」の押し付け合いになっていた。画面を閉じた後、脳裏に残ったのは虚しさだけ。まるで無駄なエネルギーで充満した電池のように、頭は疲れ、一日が台無しになった感覚に襲われた。
なぜ私たちはSNSの沼から抜け出せないのか?
SNSの設計は「反応」を誘うようにできている。「通知」は脳の報酬系を刺激し、「未読」は不安をあおる。他人の言葉に反駁したくなるのは、自己承認欲求の裏返しだ。「自分は正しい」と確認したい。しかし、その戦いには終わりがない。
さらに悪いことに、SNS上の議論は「理解」を目的としていない。相手を論破するか、自分が傷つくまで続く消耗戦だ。時間も集中力も、本来使うべき場所から奪われる。
敗北から学んだこと
今日の失敗で気づいたのは、「意志力だけに頼るのは危険だ」ということ。スマホを触る習慣と同じで、SNSの応酬も「無意識の癖」として根づいている。だからこそ、物理的な対策が必要です。
- 通知をオフにする(存在を忘れるのが最善)
- アプリを削除する(ブラウザのみにし、アクセス障壁を高める)
- 「反論したい衝動」が湧いたら、5分間手を止める(ほとんどの場合、虚しいと気づく)
明日からまた、ゼロから始める
また失敗した。だが、この反省を次に活かすしかない。SNSは現実の時間と心の平穏を奪う「現代の麻薬」だ。中毒性があり、離脱には痛みを伴う。それでも、「奪われる人生」を取り戻すため、もう一度挑戦する。
次にコメント通知を見たときは、この記事を読み返そう。「またストレスの帯電を始めるのか?」と自問するために。
人間は弱い。だからこそ、仕組みで補う。
今日という敗北を、明日からの小さな勝利に変えるために。
Let’s redoing!
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