
■ 無免許で事故を繰り返し、少年を重体に追い込んだ男
鳥取県でまたもや無免許運転による逮捕劇が起きた。74歳の無職の男は、3月に小学生をはねて意識不明の重体にさせ、釈放後すぐに高校生をはねて逃走。その後も免許取消処分を無視し、5月に再び無免許で軽トラックを運転した疑いで逮捕された。
驚くべきは、「運転していません」と容疑を否認しているという点だ。これまでの経緯を見れば、もはや「運転していない」と言い張ること自体が、保身のための虚偽としか思えない。
■ 免許取消後も運転…なぜ止められなかったのか?
この男は、ひき逃げ事故で逮捕された後、免許の仮停止処分を受け、さらに免許取消処分を受けた。それでも運転をやめなかった。
- 3月31日:鳥取市で小学生をはねて意識不明の重体(現行犯逮捕)
- 4月3日:釈放直後に安来市で高校生をはねて逃走(4月11日に再逮捕)
- 5月7日:免許取消状態で再び無免許運転(5月10日に逮捕)
「処分されても運転をやめない」 という異常な執着。これはもはや、「自分さえよければいい」という極端な自己中心性の表れではないか?
■ 74年間の人生で学ばなかった「責任」とは?
この男は、小学生を一生涯の後遺症に追い込み、高校生にけがを負わせた。それでも運転をやめず、逮捕されても「運転していない」と嘘をつく。
「年齢を重ねれば人は成熟する」 という幻想は、この事件で完全に打ち砕かれる。
- 免許取消後も運転する → 法を無視
- 事故を起こしても反省せず再び運転 → 人命軽視
- 逮捕されても嘘で逃れようとする → 責任感ゼロ
「74年間、何を学んできたのか?」
答えは簡単だ。「自分さえよければいい」としか学んでいない。
■ こんな人間にはなりたくない――社会が許してはいけないこと
この男のような人間がいる限り、「高齢者ドライバー問題」は単なる『認知機能の低下』だけでは済まない。
- 「自分は大丈夫」という過信
- 「捕まらなければいい」という無責任
- 「他人の命より自分の都合」というエゴ
これらは、年齢ではなく、人間としての根本的な倫理観の欠如だ。
■ 社会はどう対応すべきか?
このような無責任なドライバーを野放しにすれば、また同じことが繰り返される。必要なのは、厳罰化と徹底した監視だ。
- 無免許運転の厳罰化(即時収監を含む)
- 高齢者ドライバーの適性検査の強化
- ひき逃げ・無免許運転への社会的制裁(車両没収など)
■ 最後に――「責任」を取れない人間は、運転する資格がない
車の運転は「免許」ではなく、「責任」が伴う行為だ。
- もし自分が事故を起こせば、他人の人生を狂わせる。
- もし無免許なら、それ自体が犯罪である。
- もし嘘をついて逃れようとするなら、人間として失格だ。
この74歳の男は、「運転する資格」どころか、「人としての資格」すら疑われる。
私たちは、こんな人間にはなりたくない――そして、こんな人間を生み出さない社会を作らなければならない。
Let’s redoing!
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