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2025年8月20日朝、インターネットのトレンドワードに「石破首相がビル・ゲイツ氏と会談」という文字が踊りました。

内容は、途上国へのワクチン支援を担う国際組織に対し、日本政府が今後5年間で最大5億5000万ドル(約810億円) もの巨額の支援を行う考えを伝えた、というものです。ゲイツ氏のような世界的なフィランソロピスト(慈善家)と、グローバルな健康問題について議論すること自体は、一国の首相として極めて真っ当な行動でしょう。その重要性を理解している人も多いはずです。

しかし、ネット上に溢れたコメントは、この会談を「評価」するものでは全くありませんでした。むしろ、怒りと諦め、そして絶望に近い感情がほとんどのように見えました。

「財源は?」
「30分会談しただけで810億円の血税を支援しちゃうの?」
「国民が物価高や国民負担に苦しんでるのに何故海外に手を差し伸べるの?」
「日本ってそんなにお金あるの!?」
「そこより先に日本人の為にカネを使え!」

これらの声は、決して「国際協力や支援そのもの」を否定しているわけではないと、私は感じます。むしろ、そのタイミングと金額の規模感、そして政治の優先順位に対する、深い深い疑問と不信の表れなのです。

比較して浮かび上がる、残酷な現実

この810億円という数字は、私たちにとってどのような重みを持つのでしょうか。

直近の大きな政治の話題で、ある数字が議論されました。「一律2万円の給付」です。与党は参院選でこの公約を掲げましたが、結果は大敗。この給付金の行方は、今も宙に浮いたままと報じられています。

ここで、簡単な計算をしてみましょう。

国民1人に2万円を給付する場合、総額はおよそ2,500億円ほどかかるとされています(1億2,500万人×2万円)。
では、今回支援が決まった途上国ワクチン支援への金額、810億円は、この「2万円給付」と比べてどのくらいの規模でしょうか。

810億円 ÷ 2万円 = 405万人分

つまり、今回の支援額は、405万人の国民一人ひとりに2万円を給付できる金額に匹敵するのです。30分の会談で示された支援額が、です。

この数字を目の当たりにした時、多くの国民が「え? うちには出せないの? そのお金?」と感じるのは、あまりにも自然な感情ではないでしょうか。物価高に喘ぎ、光熱費や食費の値上げに毎日頭を悩ませる国民にとって、この「比較」はあまりに残酷で、政治の優先順位のズレを痛感させずにはいられません。

「気の小さな政治家」という指摘の核心

ブログの冒頭で紹介した「気の小さなやつしか政治家にはいないらしい」というコメント。これは単なる侮辱ではなく、ある鋭い洞察を含んでいるように思えます。

なぜなら、「国際貢献」は、国内外から明確な反対意見が出づらく、外交上の評価も得やすい「安全牌」だからです。それは時に、「見えやすい成果」としてアピールすることもできます。

一方で、「国内の国民一人ひとりに対する支援」は、その財源の確保や給付の公平性、効果の検証など、あらゆる面で厳しい目に晒されます。「なぜあの人がもらえて自分はもらえないのか」「ばらまき政治ではないか」と、あらゆる角度から批判が噴出する、いわば「リスキーな選択」です。

失敗が許されず、批判ばかりが目立つ。だからこそ、「国民のため」よりも「摩擦の少ない、評価を得やすい道」を選んでしまう。そのような政治姿勢を、「気が小さい」と表現したのではないでしょうか。本当に気の大きい、胆力のある政治家なら、たとえ批判が予想されようとも、国内の苦しい声を最優先に行動に移すのではないか、と。

大敗しても変わらないのか?

今回の報道で最も衝撃的なのは、参院選での大敗という明確な“民意の審判”を受けた直後ですら、この政治の姿勢が何も変わっていないように見える点です。

有権者は、物価高対策を求める声を、投票という行動で明確に示しました。それにもかかわらず、国民との約束(2万円給付)の行方は不透明なまま、巨額の海外支援が前に進む。この光景は、「選挙で負けたからやり方を変えよう」というよりも、「国民の声は聞こえないふりをして、従来通りのことを続けよう」としているように映ってしまいます。

これは、「敗戦国」だからという単純な問題ではありません。それは、政治が誰に対して責任を感じ、誰のために存在しているのかという、民主主義の根幹に関わる問題です。

国際貢献は確かに重要です。しかし、その大盤振る舞いをする大義名分と余裕が、本当に今の日本にはあるのでしょうか? まずは、そのお金を生み出し、支えている自国民の生活と命を守ることが、政治の最も最低限かつ最優先の使命ではないでしょうか。

ネットの厳しいコメントは、単なる妬みや排外主義ではなく、この当然の優先順位が完全に逆転していることへの、正当な怒りと悲鳴なのです。

この声が、いつになったら政治を動かすのでしょうか。私たち有権者は、次の機会まで、この「比較」を決して忘れてはいけないのだと思います。

Let’s redoing!

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