
1. 朝日新聞の「誹謗中傷問題」記事に感じた違和感
本日2025年4月30日付の朝日新聞は、SNSの誹謗中傷と言論の自由を特集した4面記事を掲載した。都知事選や兵庫知事選での事例を中心に、「ネットの匿名性が悪用されている」という主張が展開されていたが、「朝日新聞の視点が絶対正義」とするトーンに強い偏りを感じた。
特に問題と思った点:
- 「誹謗中傷=悪」の一方的な構図:
ネット批判の背景にある不満(例:政治家への不信感)にはほとんど触れず、単純な「加害者vs被害者」の図式で報道。 - リテラシー論の欠如:
「どうすれば建設的な議論ができるか」より、「規制強化が必要」という結論が先にあった。 - 対比される意見の不在:
例えば「匿名性が弱者救済に役立つケース」(DV被害者の告発など)の視点が完全に欠落。
2. 対照的な「高橋リハック氏の手法」——YouTuberが示すもう一つの道
同じテーマでインタビューされていたリハックの高橋氏の姿勢は鮮やかな対照をなしていた。彼のYouTube番組では:
- 【両論必ず紹介】:
賛成派・反対派の双方に等しい発言機会を与え、データや体験談を並列提示。 - 【主観を排した構成】:
「私の意見はありません。視聴者の皆さんが考えてください」というスタンス。 - 【コンテクストの提供】:
誹謗中傷が起きる社会的背景(例:格差や政治への無力感)にも言及。
これこそが「民主主義的なメディア」の本来の姿ではないか——朝日新聞の記事を読みながら、そう強く感じた。
3. 朝日新聞の「歴史的な過ち」と繰り返されるパターン
今回の問題は、朝日新聞の「正義の押し付け体質」が根源にある。これは過去の重大な過ちと無関係ではない:
(1)戦前の「軍国主義礼賛」報道
- 1930年代~40年代、朝日新聞は「国策に協力」し、戦争美化記事で多くの若者を戦場に送り出した。
- 1945年8月の敗戦後、「民主主義の旗手」へと急転換したが、自己検証は不十分だった。
(2)「従軍慰安婦」誤報問題
- 1980年代~2000年代の慰安婦報道では、一部の証言を過大に取り上げ、事実誤認を招いた。
- 後に記事の一部を撤回したが、「偏向報道の構造」は変わっていない。
→ この歴史を見れば、朝日新聞が「一方的な正義」を振りかざす危険性は、80年前から連続している。
4. なぜ朝日新聞は「両論併記」できないのか?
【組織的な要因】
- イデオロギーの同質化:
編集部内で特定の価値観(リベラル・進歩主義)が支配的で、異論が排除されやすい。 - 商業主義の影響:
「朝日らしさ」を求める固定読者層(主に高齢リベラル層)への迎合。
【心理的な要因】
- 「善悪二元論」の快感:
複雑な問題を「悪者(今回はネット誹謗中傷)vs 善玉(メディアや被害者)」に単純化すると、読者の共感を呼びやすい。
5. メディアに求められる「第三の道」——読者参加型ジャーナリズムへ
朝日新聞のような伝統メディアが取るべき改革案:
(1)「反論権」の制度化
- 特定の立場を批判する記事を書いたら、必ず次の号で反対意見を掲載するルール作り。
(例:欧州の公共放送「ARTE」は、論説に対し異議申し立て欄を設ける)
(2)「対話型記事」の導入
- SNSと連動した議論の場を設け、読者の多様な声を記事に反映させる。
(例:スイス「Tages-Anzeiger」紙の「Debate」コーナー)
(3)歴史検証の徹底
- 戦前の過ちや慰安婦誤報を「自社の教材」として活用し、偏向防止の研修を義務化。
6. 私たち読者ができること——メディアを「監視」する技術
- 【アクション1】「3ソース原則」
朝日新聞の記事に対し、産経・毎日・海外メディア(BBC等)の報道を比較。 - 【アクション2】「反論探し」トレーニング
記事を読む際、「この主張に反対する人はどう考えるか?」を自問する。 - 【アクション3】フィードバックの送付
偏った記事には「反対意見の掲載を求める」メールを編集部に送る。
結び:メディアの「正義」が社会を壊すとき
朝日新聞が戦前に「国策報道」で犯した過ちは、「善意の危険性」を教えている。正義感こそが、異論を封じる暴力になり得るのだ。
リハックの高橋氏のような「意見を並べ、判断を預ける」姿勢は、ネット時代のメディアが進むべき道を示している。朝日新聞が本当に「民主主義の担い手」を自任するなら、まず自らの「正義の押し付け」という悪癖と向き合うべきだろう。
「メディアの役割は結論を伝えることではなく、考える材料を提供することだ」
——この原則を忘れた時、新聞は再び「戦争協力者」と同じ過ちを繰り返す。
Let’s redoing!
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